結婚あれこれ疑問考察について
再婚はうまくいくか?
大変な思いをして離婚をした。
「もう結婚なんて懲り懲りだ!」と言っていた人も、しばらくすると再婚していたりする。
独身生活、結婚生活・・・それぞれ良いところ・悪いところ、楽しいところ・嫌なところがある。
人は基本的に無いものねだりをする傾向があるのだろう。
離婚後にひとりで生活していると、だんだんと寂しくなってくる。
街で仲の良い夫婦を見ると羨ましくなってくる。
あれほどうっとうしいと思っていた過去の結婚生活が、懐かしく思うようになってくる。
こんな感じの経過をたどり、人は再婚を考えるようになるのだろう。
前にも書いたが、1回の結婚で安住の地を得られるのなんて奇跡に近い。
結婚したくなったら、遠慮することなく再婚すればいいと思う。
最初の結婚がどうしてダメになったのかをしっかりとわかっていれば、次の結婚にそれを活かすことができる。
現実離れした過大な期待を抱くこともない。
譲れないところがわかっているから、それを事前に確認することもできる。
こう考えると、最初の結婚よりうまくいく確率が高いのではないだろうか。
そういえば、アメリカ人男性と結婚した知人が、家庭内暴力が原因で離婚をして、今度はペルー人男性と結婚してうまくいっていると聞いている。
何も外国人とばかり結婚しなくても、日本人男性の中にもいいやつがいっぱい居るだろうにと思うのだけれど、うまくやってるなら他人がとやかく言うこともないか・・・
結婚生活に終わりを告げるときとは?
誰もが、多くの夢を抱いて結婚をする。
最初の結婚で、最高のパートナーとともに末永く暮らしていけたら、こんな幸せなことはないと思う。
しかし、よく考えてみれば、そんなことは奇跡に近い確率なのではないだろうか?
初婚同士がいきなり生活を共にして、それが最高の暮らしだったなんてことはまず有り得ない。
何回かの衝突を経て、お互いを理解する努力を継続して初めて「まぁ最適のパートナーかな・・・」と思えるのが実際のところだと思う。
そして、どれだけ二人が歩み寄る努力を重ねても、やっぱり溝が埋まらないという場合もある。
こんなときは、仕方ないけれども、離婚を選択することもやむを得ないのではないか。
お互いに別の道を歩んだほうが幸せになれるという結論に達したときは、結婚を解消する道も誤りではないだろう。
心の中にわだかまりを抱えているのに、世間の目を気にして結婚生活を続けることは自分を騙していることに他ならない。
自分と相手の人生を嘘で固めていることに他ならない。
たった1回の失敗で、人生が終わるわけではない。
その気があれば何度だってチャンスはある。
人生をひとりで歩んでいくのもひとつの選択。
再度別の人と結婚するのもひとつの選択である。
自分を誤魔化して生きていく。
こちらの選択のほうがはるかに罪深いと思う。
気をつけたいのは、同じような過ちを繰り返さないことだろう。
世間を見回すと、何度も同じような相手と結婚をして、同じような理由で離婚をしている人がいる。
前回の結婚から何も学んでいないとしか思えない人がいる。
安易に離婚をするのも問題だが、たった1回の結婚にしがみつくのも問題である。
結婚を解消するのなら、貴重な経験を基にして、次のステップに行くべきだろう。
結婚生活を続けるために我慢は必要か?
新婚当初のラブラブ期間が過ぎると、二人の生活は日常になってくる。
朝、顔を合わすのが当たり前。
デートの約束をしなくても毎日会う。
会いたくなくても会う。
そうなると今まで気にならなかった相手の小さな欠点がだんだんと気になるようになる。
これぐらいのことに目くじらを立てるのも大人気ないと思って我慢していると、だんだん相手のことが嫌になってくる。
長男の嫁になるとわかって結婚したとしても、いざ結婚してみると想像以上の苦痛があったりする。
義父母がいろいろと介入してきたりする。
年末年始に義兄弟が家族を連れて帰省してくる。
そして当然のようにもてなしを要求してきたりする。
どうして自分だけがこんなに奉仕を要求されるのかと腹が立つ。
会社でも有名な美人社員をゲットして結婚に漕ぎつけたと喜んでいたら、家事がまったく出来ない女だったりする。
掃除・洗濯・料理は全部夫の仕事になったりする。
いくら美人だからといってこんなことが許されるのかと怒りが吹き出してくる。
結婚後に様々な苦痛が襲ってきたとき、どうすればいいのか?
話が違うと速攻で離婚するのか?
現実問題、そんなに簡単に離婚できるものではないし、したくない。
そこでほとんどの人は「我慢する」という行動をとる。
自分さえ我慢すればすべて丸く収まると自分に言い聞かせる。
しかしこれは何の解決にもなっていない。
やがて火山のように噴火することになる。
いったい何のために結婚したのか自分でもわからなくなる。
こうなるともう、収まるものも収まらなくなる。
だから提案したい。
幸せな結婚生活を続けるために、小さな問題も目を背けずに対峙したほうがいい。
言いたいことがあるのなら、我慢せずに言ったほうがいい。
苦痛だと感じていることがあるのなら、相手にそのことを伝えたほうがいい。
問題が小さなうちに対処したほうがいい。
それが結局は二人のためになる。
我慢するのが大人なのではない。
我慢しなくてもいいようにお互い話し合えるのが大人である。
我慢は結婚生活を侵食する雑草である。
放置すると手に負えなくなる。
早めの草取りがきれいな庭を保つ秘訣である。
結婚してからしかわからないことって?
充分な交際期間を経てめでたく結婚しても、その後に待ち受けることを充分に理解できるわけではない。
結婚してからわかることがたくさんある。
こんなはずじゃなかったと思うことが山ほど出て来る。
うどんを啜る音が許せないほど気になるかも知れない。
歯磨き後のガラガラぺーに悪寒が走るかも知れない。
料理のレパートリーが驚くほど少ないかも知れない。
家事をまったくしない、手伝わないかも知れない。
結婚した途端に何も買ってくれないかも知れない。
休日にひとりで遊びに行ってしまうかも知れない。
「こんなはずじゃなかった・・・」
「騙された・・・」
誰もが一度くらいは、こんな想いをするものである。
結婚前には気づかなかった相手の欠点が、どんどん出てくるのが結婚後である。
しかし、結婚とは共同生活である。
相手にばかり完璧を求めても無理である。
自分の欠点を許容してもらうためには、相手の欠点も許容してあげなければいけない。
お互いに足りない部分を補ってもらい、その部分に意識をフォーカスして感謝すれば、他のことはたいしたことではないと思えてくる。
感謝されれば相手も嬉しくなって、もっといろんなことを補ってくれる。
こういった好循環に持っていきたいものである。
毎日カリカリ・イライラして過ごしているのは、相手に不快感を与えているだけではなくて、自分自身にとっても楽しいことではない。
毎日ニコニコ・ルンルンと過ごしていれば、相手も喜んでくれるし、なにより自分自身が楽しい。
どちらが得かは考えるまでもない。
自分自身が楽しく過ごすために、相手を許容してみませんか?
新婚旅行は必要か?
どういうわけか、結婚したら新婚旅行に行くのが相場になっている。
この機会に二人がより親密になれるようにということなのだろう。
昔は国内旅行だったものが、日本の経済成長とともに海外旅行が当たり前になった。
もっとも海外旅行自体、特別に珍しいということでもなくなっている。
近所のおばさんが韓国旅行に行ってきたなんて話が当たり前の時代なんだから、新婚旅行が海外になるのは当然なのだろう。
こんなことを言ってると、新婚旅行を否定的に見ているように思われそうだが、別にそんなひねくれた根性を持っているわけではない。
むしろ非日常の空間をふたりで楽しむのは、いろんな意味で有意義だと思ってる。
まず、まとまって休暇を取れる機会はそうあるものではない。
新婚時以外であるとすれば、ゴールデンウィークや年末年始ぐらいである。
そんなときは旅費は高いし、混雑するしで、うんざりすることが多い。
新婚旅行なら、そういう期間を外して堂々と平日旅行を楽しむことが出来る。
それから子供が生まれると、数年は海外旅行どころではなくなる。
子供が大きくなると夫婦水入らずの旅行というわけにはいかなくなる。
そう考えると、新婚旅行はめったにない夫婦だけが純粋に楽しめる旅行と言える。
そういう意味で、新婚旅行はおおいに有意義だと思う。
そういえば、昔「成田離婚」という言葉があったけど、最近はどうなのだろう?
「関空離婚」や「中空離婚」なんて言葉を聞かないところをみると、最近はそういった離婚はないのだろうか?
親しき仲にも礼儀あり!
結婚したからといって、何でも許されるわけではない。
お互いに相手を思いやり、仲良く旅行から帰ってきてほしいものである。
結婚式は必要か?
昔は、「結婚式は必要か?」などという議論は成立していなかった。
結婚式はするのが当たり前。
「しない」のは、よほどの事情ありとなっていた。
でも現代では、そんな議論が成立する雰囲気がある。
そもそもどうして結婚式をするのか?
「私たちは結婚しました!」ということをみんなに知ってもらうため?
自分たちは結婚したんだという自覚を持つため?
花嫁が、ウェディングドレスを着るため?
これらの効用は認めるが、大金をかけてドハデにする必要があるだろうか?
一生に1回のことだから・・・って最近は一生に何回も結婚する場合もあるわけだし・・・
これはウェディング業界の陰謀ではないだろうか?
「あれもしたほうがいい。これもしたほうがいい。世間の常識です!」
などど囁かれ、当人たちもだんだん「そうだ!そうだ!」と信じ込んでしまっていないだろうか?
そして親も派手な結婚式を望んだりすることもある。
「質素な結婚式では世間に笑われる。体裁が悪い。」
まぁ、個人の志向の問題だから、他人がトヤカクいうのも野暮だとは思う。
だた思うのは、誰かの結婚式を基準にする必要はないのではないか?
結婚する当人たちがしたい結婚式にすればいいのではないか?
場合によっては、結婚式をしないという選択もありなのではないか?
親戚・知人・友人には、手紙で結婚を報告しても用が足りるのではないか?
結婚式は質素にして、新婚旅行に思いっきりお金を回すというのもありではないか?
こんなことを思うのである。
ただし、これらは結婚する両人の合意があればだとは思う。
片方だけが思っていてもダメだろう。
大勢の人に、ウェディングドレス姿を見てほしいと願っているかも知れない。
一世一代の晴れ舞台だと思っているかも知れない。
こういった想いを持っている人達の気持ちも尊重してあげたい。
こんなことを考えていると、やっぱり世間並みの結婚式をするのが一番無難だということに落ち着く。
みんなが納得する最大公約数的な結婚式が一番ということになる。
ただ、結婚式にかけるお金の大小と、結婚後の幸せとの間に相関関係がないことは、ハッキリしているのではないだろうか?
障害がなければ理想的な結婚?
二人が結婚する気持ちになり、親や周りが祝福して結婚できるなら問題は何もない。
まさに理想的な結婚・・・
と考えてしまうが、ことはそう単純ではない。
必ずといっていいほど、結婚に障害は付きものである。
しかし、ものは考えようで、多少の障害も克服できないなら、結婚後の生活も維持できない。
二人の気持ちを確認する機会だと捉えたい。
人は困難に遭遇したとき本性が剥き出しになる。
楽しいだけのデートのときにはわからなかった相手の本性を見ることができる。
二人の前に壁が立ち塞がったとき、それぞれどう考え行動するかを知ることができる。
逃げる。
立ち止まって考える。
何も考えずに突き進む。
そういったものを見て、お互いが相手の本性を観察する機会と捉えたい。
その相手を、本当に結婚後も生活と人生を共に歩むパートナーとして受け入れられるのか?
普段は調子の良いことばかり言っていても、地震が起きたらさっさと自分だけで逃げ出してしまうかも知れない。
人の話に気のない返事をしているようでも、地震が起きたら真っ先に自分の名を呼んでくれるかもかも知れない。
まぁ、ここまでの話は、ある意味、意地の悪い話である。
ただもし今、結婚を考えている二人に大きな障害が立ち塞がっているのなら、どうか二人で知恵を出し合って克服してほしい。
その経験が、結婚後の二人の財産になる。
いや、これほど大きくて価値のある財産は他にないのではないだろうか。
我ながら青臭い話になってしまった・・・・でも真実だと思っている。
結婚を親に反対されたらどうする?
前回にも書いたが、結婚を親に反対されたらどうしたらいいか?
まず必要なことは、親が結婚を反対している本当の理由を探ることだ。
親は、いろいろ反対理由を並べてくるだろうが、本当の理由はどこにあるのか?
反対理由をクリアすれば結婚を認めてくれるのか?
それとも反対のための反対であり、どんなに問題を解決しても結局は結婚を反対するのか?
人間は感情の動物であり、それは親と言えども同じである。
理性でものを言っている場合と、感情で言っている場合がある、
理性で考えて結婚を反対しているのなら、その理由が解消されれば問題ない。
厄介なのが、感情で結婚を反対している場合だ。
とにかくどんな相手を連れてこようと反対する親がいる。
結婚してほしいと言いながら、本音の部分ではいつまでも子供として手元に置いておきたいと思っている親もいる。
また親から見れば、いくつになっても子供のことを半人前だと思っている親もいる。
いつまで経っても子離れできない親もいる。
こういった場合、穏やかな話し合いでは解決しないかも知れない。
一度本音でぶつかり合い、自分たちはもう子供ではない、りっぱに成人しているのだということを認めさせるしかない。
結婚してもりっぱに暮らしていけるということを認めさせるしかない。
二人がいかに強く結ばれているかということを認めさせるしかない。
いわば力ずくである。
気合である。
迫力である。
それでも結婚を反対する親もいる。
そのときは、二人で徹底的に話し合うしかない。
それでも「俺たち、私たちは結婚をするのか?」を
二人の気持ちを再確認する機会だと捉えたい。
ふたりの気持ちが一致してるなら、あとは時間が解決してくれる。
最終的には、結婚はふたりの問題なのである。
結婚に親の承諾は必要か?
結婚するときに全ての人達が祝福してくれれば問題ないのだが、そんなスムーズな結婚ばかりでもない。
一番困るのは、親が結婚を承諾してくれないときだろう。
反対の理由はいろいろあるだろう。
「どこの馬の骨とも知れないやつに娘をやれない!」
だとか
「あんなじゃじゃ馬娘は我が家にふさわしくない!」
だとかいろいろと言われることがある。
結婚する二人と、親の世代とは、だいたい20年のギャップがある。
考え方そのものが違う。
価値観そのものが違う。
二人が懸命に結婚を説得しても聞き入れてくれないことがある。
さて、こんな状況に陥ったときどうするか?
承諾を得るまで待つか?
承諾を得ないまま結婚してしまうか?
究極的には、結婚は二人の問題なのだから、親の承諾は関係ない。
二人が同意すればそれでいい。
しかし、実際は親の承諾を得ない結婚は困ることが多い。
若い二人は経済的にも苦しいから、親の援助はほしい。
子供が生まれたら、子守とかいろいろと助けてほしい。
こういったことが期待できない。
こんな状況のとき、結婚の先輩たちはどうやって切り抜けてきたのだろう?
当人たちが説得してダメなら、誰か違う第3者に間に入ってもらう。
なるべく年齢の高い、人徳のある人に説得を頼む。
これはそれなりに効果があるようだ。
親も感情的にならずに話しに応じてくれるらしい。
あとよく聞く話に、「子供が生まれたら解決した」というものがある。
あれほど結婚を反対していたのに、孫が出来た途端に豹変する親がいるらしい。
孫は子供よりもかわいいという話もよく聞く。
いずれにせよ、結婚する当人たちが固く結ばれているなら、粘り強く立ち向かうしかないのではないか?
粘って粘って、それでも結婚を反対されるなら、それなりの覚悟を決めて結婚するしかない。
結婚し、子供が生まれ、二人が幸せに暮らしているところを見せれば、鉄のこころも氷解するはずだ。
子供の幸せを願わない親はいないと信じたい。
頑張れ!結婚を反対されているカップル達!
プロポーズは男がするべきか?
プロポーズは男がするべきだろうか?
世間の暗黙のルールとして定着しているようにも思うがどうだろうか?
結婚をすることに二人とも同意している。
でも儀式として男から「結婚してほしい」というプロポーズの言葉が必要。
こんな感じだろうか?
まぁ、わからないわけではない。
これぐらいの台詞が言えないようでは男として頼りないだろう。
女としても、わかっているけど言葉として聞きたいという気持ちがあるだろう。
将来、誰かから「プロポーズの言葉は?」と聞かれ、「そんなのあったっけ?」とならないように、プロポーズはしておいたほうがいいかも知れない。
まぁこんなケースは問題ないだろうが、それよりも、結婚したい相手がいて、相手はそれほど気持ちがないという場合は、それなりに決め台詞が必要になる。
そしてこんなケースでは、男からとか女からとか言ってられない。
結婚したい方が、積極的にアプローチするしかない。
相手をぐらっとっさせるプロポーズが必要だ。
結婚を決めるのに、言葉だけで決められるものではないけれども、心を揺さぶるプロポーズをされたら、その後の相手を見る気持ちが変わるだろう。
結婚するにふさわしい相手かどうかという気持ちで見てくれるだろう。
だからプロポーズは慎重に且つ大胆に決めなければならない。
個人的には、あまりに凝った演出は必要ない、かえって逆効果のように思うのだがどうだろうか?
素直に自分の気持ちを伝える。
これだけで充分だと思うし、相手に一番想いが伝わるような気がするのだけれど、どうだろう?
まぁ、これも相手しだいかな?